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ギンビスのアスパラガスデビューしたんですよー。

 

ども、コバチヨです。

 

■平成の終わりと、猛スピードでやってきたハッピー・サッド

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平成30年にもなっても相変わらず、昭和30~50年代の事ばかり掘り返しているわけだけど、平成の次の年号が決まったとして、自分はそれを受け入れられるのだろうか?中学一年生の時からずっと手元にある地図帳の発行年は昭和64年であるし、平成になり、社会主義国民主化や植民地国家が続々独立し、様々な国の名前が変わってしまったというのに、相変わらず昭和64年(そんな年はないのに)当時の国名でしか、ろくに名前を知らないような自分に、平成の先の事など受け入れられる自信がない。

そんな平成が終わろうとするタイミングで、自分にとって平成の象徴だと思っていたピチカートファイブの事を少し書いてみようと思う。ピチカートファイブが非常に活躍していたのは、間違いなく平成一桁の頃だったと自分では思っているのだけど、バブル崩壊からの不況で、日本の景気がどんどん沈んでいくのと並行して、ピチカートファイブは、明るく憂鬱について歌っていた曲が多く、今思うと物凄く当時の世の中の状況とシンクロしすぎていた気がするからだ。最終的に、ラストアルバム「さえらじゃぽん」では、敢えてゴリゴリの社会時評的な歌を歌って見せていたりもするわけだけど、当時の音楽トレンドのスピード感も織り交ぜた、ラブソングの形式で歌われる、あの明るくも悲しい歌たちは平成という時代をよく映していた気がするのだ。

そう思ったきっかけは、11月16日の「ライムスター宇多丸のアフターシックスジャンクション」の午後7時からのライブコーナーだった。7時の時報と共に「東京は夜の7時」が流れるのを聞いたのだけど、今の40歳前後の人たちによっては、90年代前半に放送されていた伝説の子供番組「ウゴウゴルーガ」のスピンオフで週1で放送されていた「ウゴウゴルーガ2号」のオマージュ*1じゃないか!と突っ込んだ人もいるとは思うんだけど、あのライブコーナーは30分も満たなかったんだけど、上に記したような事を考えさせられた放送だったんだ。

野宮真貴さんの新作アルバムからの曲を4曲披露していたんだけど、シングルリリースされた小林兄弟との「東京は夜の7時」とカップリングの「ハッピーサッド」の演奏は、原曲よりもスピードも速く、ピチカートの楽曲とは真逆の高い体温が感じられる演奏だったけれど、2曲共に、原曲もピチカートの楽曲の中でもアッパーな曲なのに、バンド演奏という事もあって、小西さんの曲の力が、より感じられる最高な演奏だったと思う。

「東京は夜の7時」は、オリジナルが出た時でさえも、めまぐるしい東京を象徴する曲だったのに、更に曲のスピードを上げて、荒々しさが加わっただけで、なんとなくだけど、今の東京の街並みの変化のスピードの速さだとか、当時以上に人でごった返していて街に活気のある感じがしてしっくり来たし、「ハッピーサッド」も、体温低めの歌詞とは真逆のノリノリのファンキーさが熱くて、ピチカートファイブでも上位に上がる熱い曲だと思っているんだけど、それをもっと暑苦しくしてくるあたり、「ハッピーサッド」の歌詞が却って刺さるんだ。恋人と一緒にいても全然盛り上がらない中、レコードに合わせて一人で踊ってしまう寂しさをやけくそ気味に描くって、寂しさ倍増に映るだろうに、かっこ良すぎて、最高すぎるなと思ったんだ。2曲とも歌詞を眺めると、結構重いのに、曲との絶妙なバランス感に改めて痺れてしまったわけだ。

平成最後の年に、今風にアップデートされた明るくも悲しい歌を聴くことができて良かったなと思った次第!

(もっと調べて書き直すかもしれない)

*1:ウゴウゴルーガ2号」も午後7時の時報と共に、「東京の夜は7時」が流れていたのだ!