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某月某日!!

日常のこと。音楽、本、散歩のことなど

徘徊雑記

連休前に出かけるという愚行ね。

 

ども、コバチヨです。

 

草間彌生 わが永遠の魂 国立新美術館

職場の人に唐突に誘われて、事前に情報収集もろくにしないまま観に行ってきたのだけども、前衛芸術を鑑賞するってことは、わからない事をわかんないなぁ~と実感しに行く事なのだと自分では思っているし、すごい作品だと思うという事とは、わからないけれど、なんだか圧倒的な作品の存在感を目の当たりにしたかどうかでしか自分のような芸術素人には判断出来やしないんだしさ、それでよかったんだと思っている。

個人的に圧巻だったのは、2009年から描き続けているという「わが永遠の魂」というキャンバス画の連作だ。図録の解説によると、下書きもなくぶっつけでキャンバスに描くのだという。会場には130枚くらいの作品が展示会場の四方の壁に展示されていたのだけども、きっと50年以上あるキャリアのピークは80年代から90年代なのかもしれないが、草間さんにとっては今がピークなのかなと思ったりもする。今の描きたいものをなるべく早い時間(3日位で仕上げるらしい)でキャンバスに落としむという作品群を見るに、無敵の状態なのではないかなって。

「わが永遠の魂」の個々の絵には、生/死にちなんだタイトルがつけられているのだけれども、それを超越する、永遠に存在し続ける者が世界を眺める視点のようなものが感じられた。作品には目のモチーフが細かく書き込まれていたし、なんとなく自分ではそう思うのだ。

「わが永遠の魂」が展示されている会場を俯瞰してみてみると、全体的に明るい色彩が使われていたり、暗い色を使う場合も明るい色との対照とが印象的な絵が多かったのもあったし、どの絵も複数のモチーフ(水玉や目、人の横顔など)を繰り返し描かれる事で画面に描かれるモチーフ群がまるでダンスを踊っているかのようで、衰えを知らない生命の躍動感のようなものを発しているような気もしたんだ。なんでなのかわからないけれども、長い移動時間やチケットを買うまでの行列に並んでいた時間が長かったこともあって、とてもテンションが低い状態で会場に入ったのだけど、作品群を見ているうちに不思議と元気になれた。

最初に、最新作を展示して過去の作品へと遡っていく展示構成はじわじわ来るものがあって、今に至るまでの創作を振り返りつつも、今や草間さんのアイデンティティにもなっている水玉が草間さんをを苦しめるものから、創作に欠かせないかけがえのないものへと手中にしてゆくドキュメントのようにも見ることができて、違う意味で感慨深い展示構成となっていた。

展示全体を見て思ったのは、作品から草間さんの自分の作品を作ってやろうという物凄い気迫のようなものが伝わってきたし、ドローイングやコラージュなどからは尋常ではない作品に対し、集中して取り組んでいるんだなという形跡が見ることができたのがよかった。印刷物だと、どうしてもフラットな印象になってしまうので、本物を見に行くことの大切さを改めて思い知らされた機会となった。

 

■奈良西大寺展 三井記念美術館

 

家族が、とあるインドカレー屋に行きたい&仏像を鑑賞したいというので東京駅で合流して観てきた。

2013年の年末に青春十八きっぷで東海道線関西本線を乗り継いで行った修学旅行の一環で西大寺には一回行ったことがあるんだけど、イヤホンでラジオ聴いているのがバレバレの職員のおじいさんに書いてもらった朱印の字が明らかに下手だったり、仏像が安置している場所が複数に分かれていたけど、自分と家族しかいない場所にいた職員のおじいさんの持ってる携帯から流れる着メロがあまりにも軽快すぎて、笑いがこみあげてしまいお腹が痛くて仕方がなかったり、建物内が冷え切っていて畳敷きで足が冷たくなってしまい見事に足の感覚を失くすなど、少しの滞在だったものの、楽しい思い出だった。

そんな西大寺の仏像を東京で観ることができるんだと思うと嬉しい反面、あの職員のおじいさんたちのいない西大寺の仏像の展示なんて味気ないなと思ったりもしたのだけど、西大寺文殊菩薩の造形は装飾も含めて素晴らしい。悔やまれるのは下に乗っている獅子がいない事だ。獅子とセットでないとさ。

まぁ。西大寺にあるべき肝心な法具や仏像が現在すっからかんになっているのだから獅子が留守番するくらいいいだろうって魂胆からなのかもしれないけどさ。あー、西大寺に行きたくなってきた。(脱線)あのおじいさんたちはまだ健在なんだろうか?

 

今回の展示で初めて見た五鈷杵をはじめとする法具や、舎利を収納する容器の装飾の細やかで上品な趣は目を見張るものがあったんだけどね。西大寺の思い出があまりにも面白すぎてまともな感想が書けなかったよ。トホホ。。。