某月某日!!

日常のこと。音楽、本、散歩のことなど

神社仏閣という手軽な散歩の目的地

散歩=消費行動という季節は過ぎた。

 

ども、コバチヨです。

 

■神社仏閣という手軽な散歩の目的地

 

公園に行くと家族連れがわんさかいるので、たいてい一人でフラフラしている自分には行きづらい場所へといつのまにかなってしまった。

何者なんだかわからない中年が一人で平日昼間に公園で佇んでいては、浮いてしまってるな、不審者なんじゃないかと周りの人から思われているのではないか、という思い込みが邪魔をして公園から遠ざかっているのだ。実際、公園側も、何者なんだかわからない人間が来れなくなるような対策をしれっと講じているというし、遠ざかるしかなさそうなのだ。何者か分からない中年の居場所はそもそも物凄く少ないものだし、仕方がない。どこの戦力にさえなれない中年なんて、全世代の人間から猛烈に蔑まされてしまいがちだ。

そんなわけで、ふらふらと散歩に行くところが神社だとかお寺といった祈りの場になってしまったのだけど、そういうところには家族連れも、騒がしく忙しなく動き回る子供らも年始と七五三の時期以外、あんまりいないので安心して散歩の目的地に設定することが出来る。

滞在時間もそんなにないし、神社仏閣の近くには大抵バス停があるから疲れたらバスで帰ってしまえばいいんだ。神社仏閣は今や度々出てくる宗教関連の議論の事もあいまってありがたみも大分減ってしまっているものの、相変わらずランドマークとしての機能は城跡と並んで、そこらの地域経済を回しているような会社の社屋よりも絶大なのだ。

 

個人的に好きなのは神奈川県中郡大磯町国府本郷にある相模國総社六所神社という所だ。

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なんで好んで行ってしまうのかというと、エンドレスリピートで流れる古ぼけた音の「春の海」が聴きたくなる時がたまにあるからだ。おそらくSP盤から起こした音源を流しているのだろう、琴とバイオリンが奏でる「春の海」って、あんまり聴かないからかもしれない。

神社の境内は、由緒正しき、いつ行っても掃き清められて清々しい気持ちでお参りできる神社には違いないのだけれども、それだけなら他にもいくつかあるしそれらは近いから六所神社に行かなくても別に困らないんだけど、あの古ぼけた「春の海」を聴くためについつい散歩して行ってしまうわけだ。

そういう参拝リピーターもいるという事を書きたかったわけだ。