そのおこだわり、俺にもおくれよ!
ども、コバチヨです。
■長年コーヒーは飲んでるものの、違いはわからないままなのだ
自分は本当にコーヒーが好きなのだろうか?とふと思うことがある。
毎日コーヒーを飲んでいるのだけど、好きなコーヒー豆の種類、焙煎具合、淹れ方のこだわりはあんまりないし、明日から昔飲んでいたインスタントコーヒーに戻したっていいと思っている位なのだ。コンビニの淹れたて(自称)コーヒーもたまに菓子パンと一緒に買い求めてしまう位好物なのだ。
コーヒー豆にしても、基本的にスーパーで入手できるものを飲んでいて、ここ数年は成城石井のフレンチローストと業務スーパーのラグジュアリッチのシティローストを気まぐれで行ったり来たりしているんだけど、だからといって違いがわかってるかどうか相当怪しいのである。
自分が長年コーヒーを飲み続けて、巷で飲まれるコーヒーが、昭和の酸味の強い薄いコーヒーから、深煎りの苦みの効いている濃いコーヒーに変わった事はとても嬉しかった事なんだけど、未来の人が飲むコーヒーは酸味の強い薄いコーヒーに戻ったりするのだろうか?
コーヒーを飲みに行く機会が昔は結構あったけれど、自分と喫茶店の雰囲気とが釣り合わないと場違いだなという気持ちが増幅してしまい、リラックスする事なんかあんまり無かった記憶がある。そのくせ、強烈に記憶に残っているお店はいくつかあるのだから別にコーヒーを飲みに行くこと自体は嫌いではない。喫茶店には行きたいのだけれど、いつになるのだろう?
強烈に記憶に残っている喫茶店は2つある。
1つは東京は神保町にあった李白という店で、今は亡きさぶちゃんラーメンのほぼ裏にあったと記憶している。白山通り沿いの慌ただしい通りを1本入った通りにあっただろうか、後年、経堂に移転し閉店してしまったようだけれど、あの店の落ち着いた雰囲気は神保町のざわついた街並みよりも経堂の方がふさわしい気がした。何度かバイト帰りに寄ってコーヒーを頂いたのだけど、李朝家具が置いてある渋い店だったのを思い出す。当時は北欧家具全盛期だったから尚更渋い店に思えたのだろうが。
2つめは名古屋にある喫茶ボンボンという店だ。名古屋駅から地下鉄に乗って数駅先にある安宿からフラフラ歩いていると排気ガスで汚れた店の看板がとても印象的で、どうしても店に入ってみたくなったのが運の尽き、店内は1960年代風のレトロなテーブルとイスが可愛らしかったし、お客さんの年齢層が幅広く、名古屋の喫茶文化の浸透ぶりがうかがえたものだ。コーヒーとケーキは自分が子供の頃に食べたものを彷彿させるとても懐かしいもので名古屋に行くことがあったらまた行ってみたいと強く思っている。喫茶の隣に洋菓子部というケーキ販売スペースがあるのだけど、デパ地下でもないのにお客さんがひっきりなしだったのもビックリしたんだよな。
いろいろ書いてみたけれど、コーヒーが好きってことなのかな。そういうことにする。