某月某日!!

日常のこと。音楽、本、散歩のことなど

雑記

バスキンロビンスで人生初ポッピンシャワーを食べた。

 

ども、コバチヨです。

 

気が付くと『サーティーワン』から『バスキンロビンス』と呼ぶような汚れた大人に私はなっちまったんだ。

 

■2019年8月1回目の近況

 

毎日、暑い。そのくせ、毎晩のようにクーラーも扇風機も無い部屋で本を読んでそのまま寝落ちするという、日本のメディアにそんなこと伝えたら一斉に非難されかねない真似をしているわけなのだけど、長年クーラーの無い人生を送ってしまうと油断をしてしまうから、気を付けないといけないな。

 

先月買った3冊の雑誌を読んで思い出したかのように家にある本を引っ張り出して2冊再読しているところ。ケルアックの「路上」と土門拳の「生きることと死ぬこと」という本だ。

20代の時にズドーンと落ち込んで下宿と母校の図書館とを往復する日々に読んだ本がこの2冊で、当時は読み進めるのが大変だなと思いながら読んでいたのだけど、今ならいつもよりも少し早めに読み進めることができるし、「路上」の方は、内容も出てくる登場人物もそんなに健全ではないものの、旅の行き帰りの道中のヒッチハイクの描写もあるせいか、スピード感があって、不思議と読んでいて楽しい。土門拳の「生きる事と死ぬこと」は、本のタイトルがなんともショッキングだし表題のエッセイも息子さんの死についての文章だったからびっくりしてしまったのだけど、基本的には土門拳の写真家として写真をどう撮るのかについて書いたものなので、先月のブルータスの写真特集を読んだ自分としてはやはり興味深い本なのだ。

女性を撮るという事にも少し記されているけれど、土門は被写体をありのままに撮りたい人だったから、女性にはかなり嫌がられていたようであるし、実際女性というものは多かれ少なかれきれいに撮影をしてほしいという希望があるものだから、シワが映っていたなど、一部の女性に長いこと嫌味を言われ続けたものだと書いてあるのが興味深かった。

2019年の世の中において、フェイスブックを使っている人であれば自撮り写真をそのままインターネット上にアップする人もいるだろうけれど、それ以外のSNSになると自分をいかに良く見せられるのかを念頭に自撮り写真をアップしたいものだし、実際に自撮り写真を自分の思うイメージをヘアメイクや、スマートフォンの加工アプリを駆使して表現するべく日々試行錯誤を繰り返し、そのノウハウをSNSの中でフォロワーと共有するというし、若い人の自撮り写真って、加工しているのが普通だから、これからの写真作品はどうなっていくのかなと個人的に気になっている所はある。

そういう状況だから、今まであたりまえに行われていた”写真を撮ってもらう”という事を改めて考える事になるだろうし”写真を撮ること”について改めて考えなきゃいけないのかなと思う。でも、頭が悪すぎるからどこまで考えられるのだろうな。

 

死ぬことと生きること 【新装版】

死ぬことと生きること 【新装版】

 

 あと、篠山紀信中平卓馬「決闘写真論」も再読したいんだ。自分の持ってる95年の文庫版の装丁は平野甲賀のじゃないのだけれども。この本の『晴れた日』の章の篠山紀信が撮ったボクシングの輪島功一の写真と、複数の章に載っていた山口百恵の写真がお気に入りなのだ。どうしようもなく昭和の人間なんだ、自分は。

 

それ以外だと、1つ前に投稿したのだけど国立西洋美術館で開催中の「松方コレクション展」に行ってきた。わからないなりに、いろんな絵画をみてきたけれど、印象派の絵画が自分には一番安心するような気がする。風景って和む。中国の長江をモチーフにした水墨画も好きだけど、何も考えず、目の前の風景をぼーっと眺められるのがいいのかな。本当は作品を前に考えたり作者の意図を理解しないといけないのだろうけれど、風景は眺めたいものなのさ。ただ、常設展で無知すぎるのもいけないなと思い知らされたので、ライフワーク的に美術鑑賞が楽しくなるようにボチボチ本を読んでいくつもり。

 

夏らしいことは全然していないものの、珍しく海辺に散歩に行った際、ビーチバレーやラグビーの練習をしている人以外に海水浴に来ている人がいたのを確認できたから、夏のビーチに行ったということにはなるんだと思う。ただ、ウッドデッキだからとはいえ、路上でうつぶせに寝られてしまうと、倒れてしまったのだろうかと思うし、紛らわしいから勘弁してほしい。日焼けしてるぞアピールをしてほしい。視界に入った時、どうしようかと思ったからさ。

 

8月のはじめはそんな感じです。