某月某日!!

日常のこと。音楽、本、散歩のことなど

俺の昭和が消えてゆく

久々にこのタイトルで。

 

ども、コバチヨです。

 

■青春のようなものを幻にして見せてくれた人

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ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんが亡くなってしまった。

連日様々なメディアでジャニーさんにまつわるエピソード記事だったり、エピソードトークが繰り広げられているわけなんだけど、日本国内で人気のタレントさんを多数輩出する芸能事務所の社長さんで、長年裏方に徹していた人について何日も話題が上がるなんて、あんまり無いことであるし、世界規模の日本企業のトップでもジャニーさんのように連日報道された事なんて過去にあったのだろうか?そもそも、歴代の総理大臣が亡くなったというニュースが報じられたとして、ラジオやテレビではあっさりで、雑誌で総理大臣在任時の担当記者による特集記事になるのがせいぜいではないだろうか?

正直、ジャニーズ事務所に所属しているタレントさんの熱心なファンでも無いし、十代から大人になってからもなお、一途に、もしくは推しを変え、長い間タレントさんを追いかけ続ける人の事があんまり理解できないまんま今に至るわけなのだけど、自分が子供の頃から今に至るまで、時代を彩る音楽にはずっとジャニーズのタレントさんの楽曲がいつもあったし、ジャニーズの楽曲を手掛けることで頭角を現す作詞家、作曲家も沢山いただろうから、昭和歌謡史、そして平成歌謡史を盛り上げた大功労者であることには間違いないし、さぞかし年末の歌謡賞レースでは何らかの賞を授与されることにもなるんだろうと思われるんだよね。ご冥福をお祈りします。

 

話題は変わって、ジャニーズの楽曲について自分なりに書いてみようと思うのだけど、1980年代中盤に小学生だった自分の世代であれば、少年隊と光GENJIが印象に残っていると思うのだけど(少年忍者もいた!)、特に光GENJIの楽曲に関しては、CHAGE&ASKAASKAさんの名前を覚えた位なので、当時雑音交じりのラジオから週間音楽ランキング番組をチェックしていた自分にとって、とてつもなくキラキラした音楽に聞こえたのだと思う。

ASKAさんのブログで、ジャニーさんに光GENJIの楽曲提供の話を受けた事について書いていたけれど、楽曲のオファーがジャニーさんから直で依頼が来るものなのだと驚いてしまったのだよな。ジャニーさんは演出家の顔もあるから、タレント達のイメージに合った楽曲を書いてくれる人の選定も自分で選ばないと気が済まなかったのかもしれないね。

個人的には、マッチさんの「ハイティーンブギ」、少年隊の「湾岸スキーヤー」やキンキ・キッズの「ガラスの少年」を手掛けた山下達郎さんのジャニーさんの話を聞きたいものなのだけども。

 

俺の昭和が消えてゆく