某月某日!!

日常のこと。音楽、本、散歩のことなど

雑記

柏餅をたべたいのだが、今更な気がして、買う勇気がいる。

 

ども、コバチヨです。

 

■2019年5月1回目の近況

 

平成から令和になってから1回目の近況。

人によっては最大10連休になる大型連休だったわけだけど、結局、神奈川県内から一歩も出ることなく終わってしまった。ただ、人が集まる場所に事欠かない神奈川県のことだ、油断をすると人ごみの中に佇む事も多く、人ごみで消耗してる時間が意外に長かった大型連休だった。

平成の終わりに行った指原莉乃さんの卒業コンサートだったけど、アイドルのコンサートの観方の正解がわからないなりに楽しませてもらって、選曲と演出も担当した指原さんにはとても感謝している。アイドルといっても、特にAKB48周辺は、好きになったメンバーのSNSをチェックし、好きなメンバーの仕事中だけとはいえ、ライフヒストリーをリアルタイムで追いかけるという事もファンでいることの重要な作業で、SNSでアップされた集合写真だとか、劇場公演やSNSで披露されたエピソードなど沢山知っていれば知っている程、コンサートをより楽しくするものなんだろうし、卒業コンサートは、その集大成的なイベントだから、それまでの様々なイベントやSNSを通して共有してきた時間に区切りをつける儀式という意味合いも含まれるだろうし、自分のようにコンサートでただ音楽を楽しむというのは、野暮な事だったのかもしれないけれどもね。

 

あと、時代が移り変わるからというわけでは全く選んだつもりじゃないのに、未来は暗いけれども、心ひとつで、もしかしたら、少しはましになるかもしれないよ。というメッセージを持った本に出くわしたり、映画を見たりした。

 

ずっとずっと見たかった「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」をレンタルで借りて観ることがきた。主人公のピーターがラヴェンジャーズの宇宙船に連れ去られた際、リュックに入れてあったお母さんの形見である音楽テープ”AWESOME MIX”の楽曲が、映画の要所要所で流れるタイミングが良すぎて、ラストで流れるマーヴィン・ゲイとタミー・テレルが歌う「Ain't No Mountain High Enough」からジャクソン5が歌う「帰ってほしいの」が流れて本当に参ってしまった。流れ出すと嬉しくなる必殺モータウンヒットじゃないか!「Ain't No Mountain High Enough」は、ガーディアンズのチーム結成を祝福するものとして使われたのかもしれないけれども。

ブレードランナー2047」でも、主人公のKが、デッカードの居場所を突き止めて訪ねた時も、エルビス・プレスリーの曲が流れたけど、アメリカの1950年代から60年代の音楽というのは、幸福の象徴のような部分があるのだろうか?

SF映画というのは、”昔は幸福で、今がひどい状況の真っただ中にいる”という設定で描かれて、最後は、現状維持、もしくは、ほんの少し今よりましな状況になったという終わり方をするものしか見たことがないのだけど、劇中使われる音楽で、大大大大ハッピーエンドのように映るから不思議だったなぁ~。続編見なくちゃ。

 

 

本は、岸政彦さんの「断片的なものの社会学」を読んだ。思えば、何処へ行っても孤立してばかりで、否応なく何年も何年も孤独について考えていたのだけど、もやもやとしたイメージばかりが浮かぶものの、自分なりに上手く言葉にできないまんまで、長年自分の頭の中で繰り返し繰り返し巡らせていた、もやもやとしたイメージが、この本では見事に言葉になっていて、孤独について考えるのに、とても長い時間がすぎてしまったけれど、やっと腑に落ちた気がする。

フィールドワークのアウトテイク集的な要素もあるけれど、それらのエピソードが積み重なって、文学のような感触があったのも良かったんだ。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

 

それ以外だと、家族が西洋絵画の展示が見たいという事で、箱根にあるポーラ美術館に行ってきた。印象派の展示が行われていたのだけど、中学校の美術の副読本に掲載されていた絵の実物が幾つかあって、なぜだか嬉しくなってしまった。

帰りに、湖尻の猫に会いに行ったものの、数年前は何匹もボート乗り場の周りでのんびりしていたのだけれど、今回は一匹もいなかったな。残念。店じまいの時間近くだったのもあったのかな。皆達者だといいんだけども。

 

そんなわけで、平成の終わりから令和のはじめはこんな感じでした。