某月某日!!

日常のこと。音楽、本、散歩のことなど

雑記

娯楽としての読書をしばらくできないでいる。困った。

 

ども、コバチヨです。

 

■2018年9月1回目の近況

 

平成最後の年の夏だったわけだけど、結局、国道一号線をテキトーにトボトボ歩いて終わったのだった。あまりにも何にも思いつかないから仕方が無かった。

遠くに行きたいとも思うのだけど、たどり着いた土地で旨いものを食べたいとか、風光明媚な場所で記念撮影したいというのもないし、ただ、食事して、ぼんやり佇んで、眠って無事に帰宅できればいいってね、それ位しか思わないから別に遠くに行く意味も無いなってさ。気力が湧いたら西村京太郎の小説に出てくる現場巡りとか自分でググって計画立てて行くんだろうし、それまでは、気力のある時に半径5キロメートル圏内を適当にトボトボ歩いてやりすごすしかなさそうだ。自分にとって子供の頃から強く自信のある事って、とぼとぼ歩く事なんだから。子供のころから一人でとぼとぼ歩く事はずっとしていて、意味もないし、退屈な事だったり、草臥れる事なんだけど、そこらの人って意外に歩かないので自信をもってできる事にしてもいいかなって思うわけだ。まぁ、皆いざという時はどこまでもどこまでも歩けるのはわかってるけどさ。ただ、普段とぼとぼ歩くのって用事でもない限りジョギングよりもハードルの高い事なんだってことを、家に籠るようになって強く思うようになったんだ。自転車があったら、自動車があったらチャチャッと行ける所って歩かないんだよ。

そんなわけで、今年の夏に嬉しかった事は、家のベランダから見た茅ケ崎の花火大会と大磯の花火大会を一気見できたことだ。大磯の花火大会が大雨で延期して茅ケ崎の花火大会と同じ日だったので一気に見られたのだ。(飛躍するなぁ)

 

あと、自分が子供の時から普通にブラウン管にいた人達がどんどん亡くなってしまって悲しい。樹木希林さんのニュースはびっくりしたし、治療中とはいえ、長生きするのかなと思っていたので未だにショックだ。樹木さんはフジカラーのお正月のCM*1以外では、ずっとお婆さん役をやってきてるけれど(向田邦子作品の再放送を見ていた)、自分が子供の頃の樹木さんの演じたお婆さんって、コント番組に出てきそうな、デフォルメされたお婆さんのように自分には思えたけど、少し前に見た「海街diary」での樹木さんはお婆さんそのものを演じていたんだからなぁ~。作られたお婆さんの姿じゃない、お婆さんになった樹木さんが、お婆さんそのもを演じるという事の凄みみたいのが画面に映し出されていて、自分にはとても怖かったのを思い出した。

役を演じ切る以上に、”お婆さん”として画面に映る事って、女優さんでもあんまりやりたがらないと思うし、老いても尚、”一人の女性”として演じている方が多いわけで、役のイメージは演じるけど、年齢に合わせてとなると、やりたがらないだろうなって、ホームドラマなど見ても思うからなぁ~。樹木さんみたいに、若い頃からお婆さんやってると覚悟が違うのかなぁ~って、たまたま見ていた「海街diary」で思ってしまったんだ。

あと、内田裕也さんとの関係は、ラジオで吉田豪さんが話していたエピソードなど怖いなーと思ったんだけど(うっかり笑ってしまった。。。)、現行で出ている「暮しの手帖」の”私の「あの夏」の写真”というページで、90年位に、ハワイで撮った裕也さんと樹木さん2ショット写真と本人によるミニコラムが載っているんだけど、一筋縄で行かない関係なんだと、吉田さんの話と相まって益々ゾッとしたんだ。

 

他は、「スペクテイター」の最新号を楽しく読むことが出来た。生きるために食べる事って欠かせない事だけど、宗教上の決まりだとか、深刻な健康問題などがあると、食事作りのルールも沢山あるだろうし、食に対して積極的に対峙なくてはいけない人もいるわけで、深く食事について試行錯誤し、自分なりにどう食事作りするのかを答えを出して食事作りに向かってる人もいるんだという事を知ることが出来て興味深かった。自分のように、子供の頃から続く、「夕飯に食べるものが無い!」という危機感から作る食事とは意識の次元が違うもんな。お腹が膨れればいいってだけで済まされる人だけじゃないんだって勉強になったんだ。

 

とまぁ、そんな感じです。ざっくりとした近況を書いてみた。

 (2018年9月20日に少し書き足した)

 

*1:ずっと若い女性役だったし、全然振る舞いがぶれてなかったな