某月某日!!

日常のこと。音楽、本、散歩のことなど

雑記

実際にあったように書いているけれど、実はフィクションなのかもしれない。

 

ども、コバチヨです。

 

■お片付け

 

中尾彬が、終活の一環で、トレードマークである”ねじねじ”こと、ストールを2000本処分したというニュースがきっかけかどうかは忘れてしまったが、家にあるCDとか本を処分することになった。

中年になって唐突に、今まで楽しく読んだ本や、何回も聴いたCDなど、”もういいかも”と思ってしまったのも、物を処分する理由だったとは思うのだけど。それよりも、沢山のものを一気に処分すると、べらぼうに気持ちいいからという不純な動機もある。

9年近く前に、前の家から今の家に引っ越した時は、レコードとCDとでほぼ埋め尽くされているような家から、CDがまぁまぁ置いてある家になっただけなのに、べらぼうに気持ちが良かったし、それに気を良くしてか、その後、物が増幅することも知らぬ自分と家族は、家具屋で低めの収納家具を買い求めた位なのだ。(その後、物は増えたし、棚から物があふれ、地べたに本やらCDが積まれているわけなのだけど)

きっと、普通の人なら、飽きたらヤフオクや、メルカリに出品し、ちょっとした収入にしつつも、家の中のものの流れが澱まないように、物量の管理も滞りなく続けられるのかもしれないが、自分にはそんなコントロール感覚もろくにないし、常に物の流れを意識して行動する事が出来ない人間なので、相変ずダメなまんまだ。普通の人の情報収集能力と、時代の波に飲まれるのを全然厭わない所と、フットワークの軽さって、自分からしたら怖い位有能で、とても勇敢で、えらく軽くて、気が付くと、先の先に行って、遠くに行ってしまっていることも多いもんだからね。

物を処分するという事に戻ると、現在進行形でなのかもしれないけれども、見栄っ張りな人間だったのだなと、要らない本やCDををピックアップする度に思う。自分のレベルに見合わない本も結構持っていたし、自分に全然活用できない本も沢山持っていたからだ。まぁ、子供のころから信じ込んでいる”わからないから面白い”本に出合うミラクルを未だに忘れられないでいるからなのかもしれない。

音楽に関しても、わかりやすい音楽を沢山聴くようになった今も、難しい音楽を勉強しないとダメなのかなと、見栄を張って、たまにCDを買ってきてしまったりしてしまう。でも、自分のレベルと合わないなら、もういいかなと、今後の人生が長いか短いかわからない今だから思う。”わかる所から手あたり次第”で行ってもいいかなって。

今まで、自分じゃない、自分の知らない誰かになろうと本を読んだり、音楽を聴いたりしていた節もあったけれど、自分は自分にしかなれないし、自分の知らない誰かも、自分の物まねを上手くできるかもしれないけれど、自分にはなりたくもないだろうしさ。

これからの収納の余白は、自分らしいものを埋めていきたいなって、更新したくなったら、さっさと処分してしまえばいい。