秋らしくなってきた
ども、コバチヨです。
■最近の積読リスト
私は子供のころから本とお菓子はしょっちゅう買ってしまう性分で、そのくせボロボロのスニーカーを毎日履いているくせに靴を買う気がないという、お買い物センサーが万年壊れている人間なのである。
本については、なぜか己の読書レベルでは到底理解できないであろう本まで買ってしまう始末で、そんなのが積もりに積もって積読になっている。
自分の見た目についてはきっと等身大なんだろうけれど、本のチョイスがどうも見栄っ張りなのが自分でも嫌だなと思っているところです。
そんなわけでレッツ、積読本リストアーーーーップ!
(なんでセーラームーンの変身シーンよろしくリストアーーーーップって書くかなぁ~)
〇「志ん生一代(上)(下)」結城昌治 朝日文庫 1980年
現在、朝日文庫版は絶版になっている。
この本を一回浪人時代に読んでるんだけど、もう一回読もうと10年近く前に買ったものをずっと持っている状態なんだけど、全然読んでいない。
昭和の大名人である五代目古今亭志ん生が二代目三遊亭小円朝に弟子入りしてから亡くなるまでを描く。
まだ、読んでないけど最終的に、芸をどう開花させるのか、どう開花させても正解なんだけど、現代の芸能人は選択肢が狭められてばかりで、やりづらくなりつつあるという感想を持つんだろうなと勝手に予想する。
〇「日本の民家」今和次郎 岩波文庫 1989年
考現学の祖・今和次郎が日本各地の民家を見て回った記録なんだけど、何回読んでも全然読み進められない。
個人的に引っかかったフレーズが最初の方に出てくるんだけど、ハッとさせられたな。
都会では、働くところ社交をするところは、住宅とは別に立てられるのが普通であるから、住宅を純粋に家族たちの居住の場所として便利で楽しいように作ればいい。
また、物資の流通網の整う都会ではどんな建物も作ることは容易いが、田舎になると物資の調達も困難で、調達しやすい物資で工夫しながら家を建てなければいけないというハンデもあるし、気候によって建物に何らかの処置を施さないといけない。
また、都会みたいに仕事に通う事はあまりなかった時代だから、家にワークスペースを作らないといけない等工夫が大事になってくるわけで、民家というのは限りある資源と暮らしの経験値を下に作られる家なのだなぁと、この本で改めて思い知らされるんだけど、半分くらいでいつも止まってしまうんだよな。。。
あと、藤森照伸さんの解説で満足してしまうってのもあるんだけども。。。
〇「幕末史」 半藤一利 新潮文庫 2008年
読みやすいし、わかりやすい幕末史と呼ばれる幕末本の一つらしい。
何回もトライするのに、これも半分くらいで挫折してしまう。
きっと、西南戦争、戊辰戦争とわからなくなってしまうからなのかも。
「昭和史」は全部読むことができたので、これも一通り読みたい。
〇「哺育器の中の大人」 伊丹十三・岸田秀 文春文庫 1995年
聞き手の名手だと自分では思いこんでいる、伊丹十三が岸田秀にいろいろ質問をし、答えてもらう本らしい。
文庫版のためのまえがきにおいて岸田さんはこう書いている。
ちょっと前までまったく無名だったわたしは伊丹十三ほどの有名な人と対談できるというので二つ返事で引受けたが、対談がはじまると、悦に入っていた気分に冷水を浴びせられ、これは大変なことになったと思った。精神分析の「教師」は精神分析のことをあまりよく知らず、「生徒」の質問にしばしば絶句した。
ここまで書かせる伊丹十三って
〇「森の生活」 ヘンリー・デヴィッド・ソロー 講談社学術文庫 1991年
ここ10年以上、枕元に置いてある精神安定剤というのか睡眠剤である。
寝る前に適当にページをめくって読んで、気が付くと寝ている本だ。
作者であるソローが、アメリカはマサチューセッツ州コンコードにあるウォールデン湖畔に自作の家を建て、2年2か月暮らした時の所感を18の章に分けて書いている。
よく読む章は「読書」と「孤独」の章。
ただ、世の中に結構流通している、最低限の収入で暮らす人たちが書いた本と内容が大差ないんだろうけれど、元祖です。間違いなく。
この本が無かったら、最低限の収入と最低限の生活環境があればいいという考え方ってそんなに表に出てこなかったかもしれない。
自分には耐えられないけどね。トホホ。
〇読書の方法 吉本隆明 光文社知恵の森文庫 2006年
読書の方法にかこつけて、吉本隆明にいろいろ聞いた本らしい。
吉本隆明の選んだブックリストも楽しい。
ブックオフ108円コーナーに結構ある。
〇「家郷の訓」 宮本常一 岩波文庫 1984年
3,4年前に宮本常一の本を読む時期があった。
「忘れられた日本人」のはるか遠い昔の日本を昭和の時代に方々歩き回って集めて記された本に驚かされてしまったからだ。
家にある宮本さんの本で唯一、読みそびれている本がこれなんだけど、いつ読むのか。
〇「なぜ、植物図鑑か」 中平卓馬 ちくま学芸文庫 2007年
昨年亡くなってしまった中平卓馬さんの評論集だ。
正直、この本を読むために今、現代史の本を読んでいるんじゃないかって位、難しくて遅読ながらも色々読んでもがいている所なんだよな。
60年代の様子を眺めるにはいい本なんだろうなとは思ってるけど、自分のレベルではまだまだです。読書のレベル上げ頑張ります。
〇「決闘写真論」 篠山紀信・中平卓馬 朝日文庫 1995年
ブルース・リーの「考えるな、感じろ」よろしく、身体を眼球(めんたま)にして相変わらず撮りまくる男・篠山紀信の70年代の写真の仕事をザックリとまとめた本として本当によくまとめられていると思うし、写真家・中平卓馬さんの写真家としての絶望と復活の記として読むことができる不思議な本だと思っている。
2回位読んでいるのだけれども、また読みたいなと思いながらもここ一年くらい読めていない。
〇「味をつくる人たちの歌」 牧羊子 1981年
表紙は大橋歩さんで、本文中のイラストは開高美智子さん。
って、そもそも牧羊子さんとは何者なのだという事なのだが、開高健さんの嫁さんであり、詩人でもある。
ブックオフの108円コーナーから選んだ本なんだけど、読んでいて全然おなかが減らないのは、蘊蓄の比重が9割だからなんだと思う。正直食材辞典のようなものを買って読んだほうがいいんじゃないかという位、蘊蓄攻めにあうのである。
ちなみに、牛肉は牝牛が旨いというのを寺門ジモンの「取材拒否の店」で学んだのだけれども、この人も書いている。(この人の方が先なのに。。。)
私は牛肉に関しては本当に初心者であるし、何にもわかっちゃいないというのをいつも寺門ジモンに知らされる。そして「取材拒否の店」で旨いものを食べて悶絶する寺門ジモンを見て、自分には死ぬまでわからない食材の醍醐味を寺門ジモンは悉く食べているんだろうなと絶望する。(脱線)