お別れが来るのは、わかってはいたのに、いざ報せを聞くとショックだなぁ。
ども、コバチヨです。
永六輔さんが7月7日に亡くなった。
三木鶏郎さんに見いだされ、放送作家から出発し、作詞家としても活躍し、著作もベストセラーが出たり、亡くなるぎりぎりまで、ラジオなどの表舞台で仕事をしていた人なんだけど、永さんの放送作家としての仕事ぶりも知らないし、作詞家としての仕事ぶりもざっくりと「遠くへ行きたい」と「上を向いて歩こう」位しか知らないし、知らないのだけれども、あんまり知りたいとも思わない。
自分の中において、永さん=ラジオパーソナリティーで十分なんだ。
ラジオ番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」の1コーナーだった「誰かとどこかで」とラジオ番組「土曜ワイドラジオtokyo永六輔その新世界」のパーソナリティとして永さんを認識しているから。
といっても、自分が聞いていたのは90年代後半から永さんのろれつの回らなくなってきた10年代頭までで、聴き始めた当時の自分というと、今の自分よりも社会とうまく折り合いを付けられず、落ち込みやすいこともあって、一人で下宿の周辺を散歩するか、家に籠ってるかのどっちかしかなく、家に籠っているときの友がラジオであり、永さんの番組だった。
「誰かとどこかで」の遠藤泰子さんとのコンパクトなトークや”7円の歌”におけるリスナーからの投稿も好きなんだけれども、「土曜ワイドラジオtokyo永六輔その新世界」がよかった。
ワイド番組なので、ニュース、交通情報、天気予報は逐次入るとはいえ、常連ゲストが多いゆえなのか、大体安心して聞いてられる。
(時々、ピリピリした印象の回もあったし、中継のラッキー池田さんに対する永さんのイジリがしつこいなと思った回も結構あったけど)
あと、BGMのチョイスも、イージーリスニングやポピュラー音楽からのチョイスで時代にあんまり迎合しない感じも当時の自分は好きだったんだ。
それと、ラジオを聴いていると、永さんの我の強さも感じたりもするんだけどね。
そこらへんが永さんの魅力でもあるし欠点でもあるのだろうけれども。
とにかくまぁ、亡くなるぎりぎりまで、メディアで発信するという意欲は凄いと思うし、永さんはラジオを始めとする一連の仕事が本当に好きだったんだなと思う。
森繁久彌は晩年、「ラジオ文芸座」で過去の放送分を再放送をする事で、現役からフェイドアウトしていった経緯があったが、永さんは作品を朗読するわけでもないし、台本を読むだけってわけでもなかったからな。
ご冥福をお祈りします。
俺の昭和が消えてゆく